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(V)『You Can't Take It With You』(1938年 Frank Capra) [ヴィデオ]

「我が家の楽園」。法廷場面で立場が挽回されたり、新聞の見出しを使ったり、さらには皆が知っている音楽をうまく使うといったキャプラ印ともいうべき手法で、友人や家族が大切だという話を見せる。
たくさんの人が写っている場面の見せ方はうまいもので、早いセリフ回しと早いカットでよどみなく流れる。一方、夜のデート場面、最後に資本家が主人公を訪ねる場面では、長回しで二人の会話を撮り、緩急もつけている。
「楽園」である家庭の一人一人の奇天烈ぶりが、木下恵介のように風刺に結びついていかないので、それぞれ瞬間ギャグで終わってしまうが、松葉杖の主人が、家庭としても映画としてもそれらを束ねているという構図。

(B)『根津権現裏』(藤澤清造著 新潮文庫) [本]

西村賢太が芥川賞をとったため文庫で読めることになった!西村悲願の全集出版もそのうち実現するのだろう。
著者の文章を初めて読んだが、なるほど西村は言葉遣いなど、著者を研究し、真似ていたことがわかった。西村による解説では「戯作者の精神」と規定されているが、貧乏や病気のために生活苦に悩む主人公の様子が書かれているのに、不思議と暗い印象がないのは、西村の小説にも共通するものだ。
その秘密のひとつとして、時に無理に作り出しているのでと比喩がある。たとえば、金がなくて病気の治療ができない友の気持ちについてこう書く。「丁度針のついていない釣竿を渡されて、釣魚方を命ぜられたような気持ちがするだろう。私も自分の脚のことを思うと、雪中裸体の儘で、千里の路を徒歩させられるような気持ちがする。」
この長編は、24時間もない時間の主人公の独白である。過去の出来事が随時挿入されるが、それは主人公がその時点で思い出していることであったり、その場にいる他人に語ったことだという形式に大いに注目した。内容は内面的苦悩が書かれた自然主義と包括されてしまうのだろうが、繰り返される自己思弁や主人公の嘘いつわりのない気持ちが、時代を超えて伝わってくる。

(V)『Mr. Deeds Goes to Town』 (1936年 Frank Capra) [ヴィデオ]

なぜ「オペラ・ハット」という邦題がついたのか不明だが、突如億万長者になった男が相続のために赴く町はニューヨーク。この時代さすがにニューヨークでロケは簡単ではなかったのだろう、町の様子のショットが少しと、二階建て観光バスの場面はスクリーンプロセスだった。
新聞記者が化けて男に接近するが最後には本当に恋仲になるとか、騙されて財産をとられそうになり法廷で争って最後には勝つといった設定や、新聞の見出しによって話しを進めるといった手法はすでに確立されていたことがわかるが、フランク・キャプラ監督はその物語の中で、小コントというべきシークエンスごとの笑いを同等に重視する。 
家の中で主人公が階段のてすりをすべり台にしたり、使用人たちに声をださせて反響を楽しんだり、一番洒落ていると思ったのは、女性が「スワニー・リヴァー」を歌いながら、ものを叩くのにあわせて、主人公が口でチューバの音をだして、「ユーモレスク」のメロディを重ねる場面。
法廷で、チューバを突然吹くのは頭がおかしい証拠だといわれたことに反論するのに、主人公は、判事などの癖をひとつずつ挙げてみせる。「O-Filler」とは、アルファベットのOやRなどの中をペンで塗りつぶす人だが、会議の資料などそうしている人が確かにいる!

(V)『Gun Crazy』(1950年 Joseph H. Lewis) [ヴィデオ]

主人公は『拳銃魔』というタイトルどおり、銃偏愛者である。子供のときにおもちゃの鉄砲でひよこを撃って死なせてしまってから、生き物を撃つことを自分に禁じている。この設定が物語に生きてくる。好きな女に唆されて強盗になるが、人を傷つけないという誓いは守り続ける。この女がファム・ファタルで、男をうまく利用するのと同時に、自らは平気で人殺しをする。
有名なワンシーンワンカットで撮られた銀行強盗の場面はもちろんすばらしいが、車を運転している場面を後部座席から撮った画面も、スクリーンプロセスを使わず、実際に撮っていることで臨場感を増す。本当はバラバラに逃げようとしていたのに、別れに耐えられなくなり、戻ってきて、女と抱擁する場面には純粋な愛があった。
最後の舞台は突如霧深い沼となり、「四谷怪談」などの怪奇映画の雰囲気が漂う。主人公にはもう一つ大切にしていているものがあった。それは友情である、最後に女より大切になる。(ここでやっと我に返った。)
主人公の拳銃を偏愛する躁とノワールの暗い部分の絶妙なバランス、半ばやけくそな逃亡とホラー的舞台での結末と、どこをとっても嬉しくなるような傑作。

(映画)『Bonsái』(2011Cristián Jiménez) [映画]

これは本にまつわる映画である。舞台はチリのようだ。本を読むという行為を、本の形に日焼けしたあとであるとか、夜彼女と寝る前に朗読するのが儀式であるといった見せ方をする。本が好きな主人公は、学生時代から8年経って、物書きをしている。
この8年後と学生時代を何度か往還して見せるのは、現在から過去を思い出しているということなのだろうが、主人公のかわりばえしない生活—同じライヴハウスに通っているとか--は、並列のように見える。この繰り返しの生活に倦んでしまったとき、彼女は去ってしまうのだが、主人公はそれをそのまま受け入れるし、去った理由がきっとわからなかっただろう。
あるとき「盆栽」に惹かれ、大切な本を売ってお金を作って盆栽を求める。盆栽は二人の愛の象徴として在るようだが、主人公自身の空間ともいえるのではないか。主人公の手によって最後にとても立派な盆栽が出来上がる。しかし、その空間には彼女は入れないのだ。主人公がそれに気づいたときには、彼女は死んでしまっていた。本を読んで彼女のことを思い出して涙を流す主人公の気持ちが十分伝わってくる。
アキ・カウリスマキの映画を彷彿させるようなとぼけた静的な印象を持つ不思議な恋愛映画。

(V)『Mildred Pierce』(1945年 Michael Curtiz) [ヴィデオ]

ジョーン・クロフォードの代表作ということで見てみる。「ミルドレッド・ピアース」とは何を意味するのかと思っていたら、彼女の役名だった。それも前の夫と結婚していた際の。
最初今の夫が殺されている場面から、警察で彼女が告白を始めるまでは、ノワールな、明暗を強調した画面作りがなされていたが、物語は母ものというべき彼女が娘のために発奮して金持ちとなることが主体となっている。普通の話なのに目が話せないのは、主人公が意志を持って事業を成功させる様子と、次第に彼女に反抗、いや対抗していく娘の様子に焦点をあて、それをしっかり描いているから。
二人が互いに黒いドレスを着て対峙する場面。娘は階段の上に立ち、母親との身長さを埋める。母親が娘がせしめた小切手を破り捨てると同時に、娘は母親を叩く。母親は「私が殺す前に出て行け。」というすさまじいセリフを吐く。娘が階段上に去り、母親のアップ。鳴り響く音楽。この映画の白眉である。
回想を使って話しを進める脚本もよくできている。

(V)『His Kind of Woman』(1951年 John Farrow) [ヴィデオ]

前半、主人公はメキシコの海岸で遊んでいるだけで、一体何のために派遣されたのかわからない。そのうちに、逃亡者の身代わりに殺されるのだとわかってくるが、この『替え玉殺人事件』の後半部分は、『B級ノワール論』によれば、リチャード・フライシャーが監督したとのことで、確かに銃撃戦の執拗な描き方—双方とも簡単に玉はあたらない—とか、女性を戸棚に閉じ込めたり、助けに行こうとして大勢ボートに乗せて出発するのはいいが、重すぎて沈んでしまうといったコミカルな演出が前半の雰囲気とは異なり面白い。
セクシーヒロインJane Russellの登場場面、マリアッチをバックに歌うメキシコ風の歌「Five Little Miles From San Berdoo」は、一度聴いたら忘れられない。

(V)『Crime in the Streets』(1956年 Donald Siegel) [ヴィデオ]

『暴力の季節』。不良グループの抗争から始まる。大人数の喧嘩場面をショットを重ねながらみせるところはドン・シーゲルの技かと見ていたら、そのあとからの物語は、主人公が住むアパートのある商店街だけに舞台が絞られた動きの少ない映画。肝心なセリフを言う場面ではクロースアップにするなど、対象をじっくり捉えて説得力をもたせる。
主人公の母親のだらしのない様子は、働くレストランの残りものを詰めたと思われる紙バックを手にしているところや、二言目には一日中立ちっぱなしでいかにつらいかと文句を言うところに現れている。感情を表に表さない主人公--ジョン・カサヴェテス!--は、普段強がっているが、いざとなると及び腰になってしまう。
そして10歳の弟の勇気が主人公に勝り、主人公がそれに感応するというのも、よく描けていた。

(映画)『Helpless』(2012年 Byun Young-Joo) [映画]

『火車』。
失踪した女性の正体が次第に明らかになっていくにつれて、怪物のように思えてくるはずが、印象が悪くならないのは、婚約者の彼女に寄せる思いを中心に描いているからだ。回想場面が多すぎるのが気になったが、脚本も書いているビョン監督の意図は明確だ。
最後に駅で再会する場面は、エスカレーターの使い方--女の微笑みが怖い--といい、見事な演出。自分のことを愛しているか、という質問に女は即座に否定するが、彼女の涙を見れば、男の気持ちが伝わったことは疑いない。とすれば、最後に生き残るという選択もあったのではないか。
母親を殺すという想像の回想場面の場に男が居る、という画面も忘れがたい。

(B)『愛の帆掛舟 橋本治短篇小説コレクション』(ちくま文庫) [本]

著者の、ある時代に育った普通の家族や人々についての小説は、2000年代の『蝶のゆくえ』あたりから始まったと理解していたが、1989年に書かれた表題作で、すでに試みられていたことに目を瞠った。今の著者なら、最後の「事件」は書かなかったのではと想像したが、巻末の自作解説によれば、事件から発想した小説とのこと。愛のさまざまな形式を鍵に他の短篇も書かれている。
続く二作は会話体で書かれており「桃尻娘」の路線で、最後の「愛のハンカチーフ」は言葉の定義によって話を展開していくという、著者のエッセイの手法によって書かれている。著者の技はすでに80年代に出揃っていたのだ。
それほどその時代について多く語ってはいないが、バブル時代の浮かれた様子が背後にある。
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